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 どうしてわたしのギターのことを? という疑問は口にだされるまえに北川くんの言葉と顔の前で手をあわせてペコペコする、その必死な姿勢によって立ち消えになってしまった。
 わたしは肩のストラップをはずして、北川くんへとギターをさしだした。北川くんはうれしそうに――飛びあがらんばかりで、ほんとうにうれしそうだった――受け取って、しばらくためつすがめつ、わたしのギターをニコニコして眺めていた。
 その様子につい微笑んでしまう。このひとはほんとうに楽器や音楽が好きなんだろうな、と思う。

「アコギも弾けるの?」
「ん、普段はエレキばっかだけど。曲つくるときはアコギ触る」
 わたしは目を見張った。「え、作曲もするの!?」すごい。
「将来は音楽で飯食ってくつもりだから」

 へえ。心底感心してしまう。おおきな夢だなあ。ちゃんと将来とか、考えているんだなあ。
 北川くんはピックを使わず、爪弾きでイントロを演奏しはじめた。ふだん、他のひとが演奏するところなど見ないので、ひじょうに新鮮だ。細い体と思っても、こうやって自分の持ち物が抱えられると、体格の違いが一目瞭然となる。まくられた制服から見える腕が意外とたくましい。ごつごつとしたおおきな手のひら(弦を押さえる手が余裕そうでうらやましい)、長い指。

「デーモンはたいがい犬のふりをして近所の子供達を見張っているんだ……」

 イントロのあと、坂本慎太郎の語りで曲が進行してゆく。わざと声を低くして、真似をしているのが可笑しい。わたしは笑いながら聴いていた。

「うまいね、北川くん」

 最後までまるまる一曲を弾き終わった北川くんから、ギターが手元にもどってくる。ふたたびストラップを肩にかけ、ギターを抱えた。

「今男三人でバンドやってんだー」
「ボーカルなんだね」
「ま、今は……」そこで歯切れ悪く、北川くんはモゴモゴと言った。「ホントはギターに専念したいんだけど」

 ふーんとわたしは言って、いたずらに弦をはじく。
 また、沈黙。

「杉村さんって」それまで黙ってコンクリートの一点を睨んでなにやら思案しているふうの北川くんがパッと顔をあげた。「洋楽は聴かないの?」

「洋楽」苦笑いになってしまう。「いまは、うん」
「なんで?」
「んー。洋楽だけじゃないけど、わたし最近の人ってぜんぜん知らないよ」
「洋楽は聴いたほうがいいよ!」
「いまは邦楽聴いてるほうがたのしいんだよね、歌詞をじっくり聴くのもたのしいし」すぐ歌詞を覚えられるし。
「いやいや、わかってないよ。本場の音をちゃんと聴かないと。ギターも歌も上達はしないと思う」
「そんなものなのかな」

 急に真顔になった北川くんがこわくなって、わたしはすこし、距離をとる。なんだか火がついてしまったような彼は、それまでの歯切れの悪さなんか、どこかにうっちゃってしまったらしかった。

 

「そうだよ。こんな狭い国の音楽だけしか聴かないのって、すげーもったいないことだと思う。「音楽好きです」っていう人のさ、日本の音楽しか聴かないの。あれどういうことなんだろ。J-ポップしか聴かないで音楽好きなんかよく名乗れるねって思うね、オレは」

 わたしは肩をすくめて彼の熱弁を聴いていた。

「日本のロックバンドのうち、世界中の人が知っているようなギタリストがどれくらいいると思う? 何も日本の音楽がダメっつーワケじゃないんだけど、音楽をするならちゃんとロックがどんな歴史を歩んできたのかくらい知っててほしい。せめてローリングストーン誌が選ぶ100人の偉大なアーティストくらいは知っておくべきだよ。杉村さんはさ」

 矛先がこちらに向いた。

「は、はい」
「何人くらい知ってる? 尊敬するギタリストは? アーティストは? この先どんな音楽をやっていきたいの?」
「え……」
「大事なことだよ」北川くんの表情は真剣そのものだった。
「別に……好きだと思ったものしか弾かないし、そんなの考えたことなかった」100人の偉大なアーティスト?

 北川くんはあからさまにため息をついた。自分の眉間に、だんだんシワが寄ってゆくのがわかった。なんなのだろう。

「ちゃんと考えなきゃダメだよ。そんなんじゃ……」
「なんなの」

 わたしは立ちあがった。北川くんはおおきな目をまるくしてビクッと反応した。

「なんで北川くんにそんなこと言われなきゃいけないの? わたしは別に音楽で生きていこうなんか考えてないし、ただ好きなときに好きな曲が弾けたらそれでいいのっ」

 そこでようやく彼は何かを誤ったことに気づいたようだった。たとえば、料理のレシピの手順とか、目的地までのルートとか。そんなふうな顔をした。バツのわるそうな。