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 帰宅ラッシュのピークを過ぎた駅前は、閑散としていた。ロータリーには車の一台もなく、ときどき裏の道路を通り過ぎるエンジン音が聞こえるほかは、しずかなものだった。
 高架下、円周がベンチになっているおおきなコンクリート柱のひとつのそばへ、自転車を停める。ベンチの下にケースを置くと、自分はベンチへ腰掛け、ギターを抱えた。風が吹きいい夜だが、遠くの円柱に高校生らしいカップルの姿があるほかは、人の姿はみえなかった。それでよかった。
 かんたんにチューニングしなおし、まずは指ならしもかねて、ビートルズを弾く。ヘイ・ジュード、ヒア・カムズ・ザ・サン。たのしくなってきた。どんどん弾く。ボブ・ディランエリック・クラプトン

「杉村さん」

 声をかけられたのは、6曲めを弾き終わったころだった。ジャン・レノの、あの名作映画にも使われたスティングの曲。そこで、声をかけられた。まだ制服姿のままのそのひとは、わたしと視線を合わせるつもりなのか、目の前にしゃがみこんだ。

「さっきぶり。大丈夫だった? あのあと」

 わたしはあいまいに笑った。「はい、うん。大丈夫」
 北川くんは安心したように表情をゆるめた。

「仲直りできた?」
「うん、まあ」嘘をついてしまった。それはよかった、と北川くんはニッコリとする。なんてチャーミングなほほえみだろう。
「今の曲、『レオン』だよね。カッコいーよね、ジャン・レノ」そう言って、北川くんはその場――地べたに?――腰をおろしてしまった。あぐらをかく。

 うん。と答えると、もう言葉がなかった。あの映画はヨルが借りてきたものだ。家族を麻薬取締局の悪いやつに皆殺しにされた12歳の少女は復讐を誓う、殺し屋のレオンの元で。銃を手に取りながらも無邪気なマチルダが愛らしくふたりの愛を応援したいが、待ちうけているのは悲しい結末。独りきりになってしまい学校に戻ったマチルダが、レオンの親友である観葉植物を校庭の隅に埋め「ここなら安心よ」と語るシーンに流れるこの曲のイントロがもう……ということは、いまおおきな声で熱弁すべきではない、と思い黙っていた。
 北川くんもとくに何かを話すでもなく、その場をあとにするでもなく、地べたに腰を降ろしたまま、有名なそのメロディーの口笛を吹いたりなどしている。次の曲へ行くにも行けないで、わたしはそれを黙って聴いていた。手持ち無沙汰。

「さっき来たとこ?」やっと北川くんが口を開いた。
「ううん」すこしホッとして、答えた。「もう30分くらいいるよ」
「そーなんだ」
「うん」あ、もう終わる、会話。何か続けなくては……「そう」

 終了。困った。

「杉村さんって」またしばらくののち、北川くんが会話を再開する。「どんな音楽聴くの?」

 どんなのでも、と言いかけて、思い直す。

「最近は邦楽ばっかり。ロックが多いかな」

 もとは姉の所有物だったCDラジカセは、いまではもうラジオが入らない。出先で耳にする他、新しい曲に触れる機会もずいぶん減った。今聴いているアーティストのほとんどは、ヨルが持ちこんだCDによるものだ。そのなかからよりごのむ。ヨルの趣味は雑多だ。それこそほんとうに、なんでも聴く。

「へー。何が好きなの?」
「うーん。今日はゆらゆら帝国とか聴いてたよ」
「マジ? よく知ってんね。オレ『ミーのカー』がすげー好き」
「わたし『3×3×3』が好き」
「わかる! 超名盤だよね! すげーな。そこ選ぶのかー。なんか弾ける?」

 わたしはちょっと考えて、『発光体』のあたまのほうを何小節かだけ弾いてみた。イントロの終わり、歌が始まる手前の、ジャッジャッジャッジャッというところが、かっこいい。こういう曲を、エレキギターで弾けたらとても気持ちがいいだろうなあと想像する。だが、想像だけでおなかいっぱいだった。

「すげー。さすがだね! どこが好きなの?」
「えっと……歌詞が、変なところ?」
「はは、たしかに。『3×3×3』なんかなんの歌なんだろーね」
「わかんない。デーモンが何者なのかもわかんない」

 北川くんはニッと爽やかに笑って、こちらへ手を伸ばした。

「貸して。オレ弾けるよ」
「え」

 急な展開に(だってヨル以外の男の子とこんなふうにコミュニケーションとったことなんかない)戸惑っていると、北川くんは眉毛を下げて苦く笑った。

「いいギターだもんね。人に触らせたくない?」
「や、そういうわけでは……」ん? いいギター?
「じゃ、一回弾かせてよ。ね、お願い!」