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【3.バイト先で死体となったこと、アキちゃんについてのみじかい話 】

連載WEB小説 スメルズ・ライク・ティーン・スピリット

3-1

 夏休みも残りわずかというころ、歓迎会もかねてバイト仲間でのカラオケ会が開催された。
 これまで、大勢でワイワイとどこかに出かけることがなかったわたしは、はじめてのことに舞いあがり、大変盛りあがった。ひじょうにたのしかった。それでつい、終電をのがしてしまうという失態をおかしてしまった。
 先輩たちはみんな閉店時間(朝の五時!)まで歌いつづけるとのことだったけれど、翌日も午前十時出勤のわたしは先に帰ることにした(だって起きられる気がしない)。タクシーに乗ろうと商店街のカラオケ屋さんを出るところで、声を掛けられた。厨房の男の人だった。

 ――いやあ、びっくりした。朝ちゃん歌上手いね!

 フリータのお兄さんで、高校には行っていないものの、歳はわたしとたったひとつしか変わらないということ。この日初めて喋ったというのに、突然の朝ちゃん呼びである。赤に近い明るい茶髪を短くし、目つきもいかつい。けれど社員さんからもバイト仲間からもお客さんからも人気のあるやさしいお兄さん。名前を谷さんという。

 ――歌だけは得意なんです。ちょっとだけ。

 駐輪場に移動しながら、先ほどまでの興奮がまだ冷めやらぬというふうに、わたしたちは喋った。

 ――ちょっとじゃないよ。プロなれんじゃね? おれそういうのくわしくないけどさ、めっちゃグッときた。

 かつて誰かにこれほど褒められたことがあっただろうか。褒められ慣れをしていないわたしはたちまち顔を真っ赤に染め、俯いた。ちいさく嬉しいですとだけ、呟いた。
 谷さんが、ハミングをする。それは先ほど、わたしが歌った曲のサビ部分だった。

 ――これ、誰の曲だっけ? いい歌だね。すごいよね、英語の歌うたえんだもん。得意なの?
 ――カーペンターズですよ。

 それから、英語は少しだけ得意だと答える。ア・リトル。ちょっとだけ。

 ――カーペンターズって昔の人?
 ――兄妹でデュオしてた人たちです。

 母が好きで、と付け足す。
 わたしは、三曲つづけて彼女らの歌をうたった。サビの部分だけを。
 トップ・オブ・ザ・ワールド、クロス・トゥー・ユー、レイニー・デイズ・アンド・マンデイズ。

 ――あ、聞いたことある。
 ――ぜんぶCMにも使われてたんだと思います。
 ――カッコいいわー。また行こうね。

 ぜひ、とわたしはニッコリした。
 カラオケボックスの裏の駐輪場へ着く。てっきり自転車なのだと思ったら、谷さんが押してきたのが大きな二輪車だったのでおどろいた。バイクだ! 夜の闇に溶けそうな、ホンダの真っ黒の中型バイク。400ccくらいだろうか。かっこいい。ボディは駐輪場に所在なさげに佇む安蛍光灯の光を反射して、ピカピカしている。

 ――バイク乗るんですね。
 ――カッコいーっしょ。高かったんだー。
 ――わたしはじめてなんです、乗るの。
 ――ホント? あ、こわい? 大丈夫?
 ――大丈夫です! すごく乗りたい。

 それはよかった、と谷さんは言って、脇のヘルメットループに釣り下がっていた半月型のヘルメットをかぶせてくれた。自分もおなじようなかたちのヘルメットをかぶる。

 ――車高けっこうあるけど乗れるかな。
 ――大丈夫かと思います。

 しかし、その日履いていたのは最近新調した細身のジーンズで、究極に体がかたいひとみたいに、ちっとも足があがらなかったのだった。わたしは赤くなる。
谷さんは笑って――いつもの豪快な、ガハハという感じのやつ——、キックエンジンをかけるといったん自分は降り、わたしをひょいと抱きあげ、なんでもなさそうにバイクの後部席へ乗せた。急なことで、わたしはカチンコチンに凍ってしまった。

 ――しっかり掴まってな。落ちるよ。

 ふたたび車体にまたがり、おおきな声で(エンジン音がおおきすぎて、怒鳴りあうようにしなければ会話ができない)そんなことを言った。どこにと戸惑うわたしの腕をひくと、谷さんは自分の腰に誘導する。体が密着し、真っ赤になってしまう。
 八月下旬の夜の空気は、日中のそれを知っていれば信じられないようなほど冷たかった。まだ夏が終わっていないとは、到底思えないような。秋の始まりの洗礼を受け耳の先は凍りつきそうになり、むきだしの肌は一瞬のうちにキンキンに冷やされてしまった。
 はじめてのバイクは、これでもかというくらいスピードが速く、しばらくはおそろしくて息を止めていたくらいだったけれど、すぐに慣れた。車よりずっと近いところに景色がある。手をのばせば掴めそうな。ライトや電柱や自販機や他人の家やらがすごいスピードで後ろへ流れていって、それを漫然と眺めているだけでもたのしかった。
しかし、たのしい時間はあっというまに終わるもの。道案内をしつつ、マンションの下に着いたのは、自転車の半分以下の時間だった。

 ――大丈夫だった? バイク。こわかったんじゃない?
 ――ちっとも! とても気持ちがよかったです。

 いいバイクですね。心より、わたしは彼の黒いすてきな相棒を褒めた。
 なんだかこれは、と、わたしはドキドキしながら思う。もしかして恋の始まりというものは、こんなふうなのかもしれないと。
 じゃあそろそろ、と谷さんは言って、バイクにまたがった。エンジンをかけ、片手をあげる。
 わたしはおじぎをして、マンションの敷地からでていくうしろすがたを見送った。

 高校一年めの夏は、そんなふうにして過ぎていったのだった。