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 4-4

連載WEB小説 スメルズ・ライク・ティーン・スピリット

 どうしてわたしのギターのことを? という疑問は口にだされるまえに北川くんの言葉と顔の前で手をあわせてペコペコする、その必死な姿勢によって立ち消えになってしまった。
 わたしは肩のストラップをはずして、北川くんへとギターをさしだした。北川くんはうれしそうに――飛びあがらんばかりで、ほんとうにうれしそうだった――受け取って、しばらくためつすがめつ、わたしのギターをニコニコして眺めていた。
 その様子につい微笑んでしまう。このひとはほんとうに楽器や音楽が好きなんだろうな、と思う。

「アコギも弾けるの?」
「ん、普段はエレキばっかだけど。曲つくるときはアコギ触る」
 わたしは目を見張った。「え、作曲もするの!?」すごい。
「将来は音楽で飯食ってくつもりだから」

 へえ。心底感心してしまう。おおきな夢だなあ。ちゃんと将来とか、考えているんだなあ。
 北川くんはピックを使わず、爪弾きでイントロを演奏しはじめた。ふだん、他のひとが演奏するところなど見ないので、ひじょうに新鮮だ。細い体と思っても、こうやって自分の持ち物が抱えられると、体格の違いが一目瞭然となる。まくられた制服から見える腕が意外とたくましい。ごつごつとしたおおきな手のひら(弦を押さえる手が余裕そうでうらやましい)、長い指。

「デーモンはたいがい犬のふりをして近所の子供達を見張っているんだ……」

 イントロのあと、坂本慎太郎の語りで曲が進行してゆく。わざと声を低くして、真似をしているのが可笑しい。わたしは笑いながら聴いていた。

「うまいね、北川くん」

 最後までまるまる一曲を弾き終わった北川くんから、ギターが手元にもどってくる。ふたたびストラップを肩にかけ、ギターを抱えた。

「今男三人でバンドやってんだー」
「ボーカルなんだね」
「ま、今は……」そこで歯切れ悪く、北川くんはモゴモゴと言った。「ホントはギターに専念したいんだけど」

 ふーんとわたしは言って、いたずらに弦をはじく。
 また、沈黙。

「杉村さんって」それまで黙ってコンクリートの一点を睨んでなにやら思案しているふうの北川くんがパッと顔をあげた。「洋楽は聴かないの?」

「洋楽」苦笑いになってしまう。「いまは、うん」
「なんで?」
「んー。洋楽だけじゃないけど、わたし最近の人ってぜんぜん知らないよ」
「洋楽は聴いたほうがいいよ!」
「いまは邦楽聴いてるほうがたのしいんだよね、歌詞をじっくり聴くのもたのしいし」すぐ歌詞を覚えられるし。
「いやいや、わかってないよ。本場の音をちゃんと聴かないと。ギターも歌も上達はしないと思う」
「そんなものなのかな」

 急に真顔になった北川くんがこわくなって、わたしはすこし、距離をとる。なんだか火がついてしまったような彼は、それまでの歯切れの悪さなんか、どこかにうっちゃってしまったらしかった。

 

「そうだよ。こんな狭い国の音楽だけしか聴かないのって、すげーもったいないことだと思う。「音楽好きです」っていう人のさ、日本の音楽しか聴かないの。あれどういうことなんだろ。J-ポップしか聴かないで音楽好きなんかよく名乗れるねって思うね、オレは」

 わたしは肩をすくめて彼の熱弁を聴いていた。

「日本のロックバンドのうち、世界中の人が知っているようなギタリストがどれくらいいると思う? 何も日本の音楽がダメっつーワケじゃないんだけど、音楽をするならちゃんとロックがどんな歴史を歩んできたのかくらい知っててほしい。せめてローリングストーン誌が選ぶ100人の偉大なアーティストくらいは知っておくべきだよ。杉村さんはさ」

 矛先がこちらに向いた。

「は、はい」
「何人くらい知ってる? 尊敬するギタリストは? アーティストは? この先どんな音楽をやっていきたいの?」
「え……」
「大事なことだよ」北川くんの表情は真剣そのものだった。
「別に……好きだと思ったものしか弾かないし、そんなの考えたことなかった」100人の偉大なアーティスト?

 北川くんはあからさまにため息をついた。自分の眉間に、だんだんシワが寄ってゆくのがわかった。なんなのだろう。

「ちゃんと考えなきゃダメだよ。そんなんじゃ……」
「なんなの」

 わたしは立ちあがった。北川くんはおおきな目をまるくしてビクッと反応した。

「なんで北川くんにそんなこと言われなきゃいけないの? わたしは別に音楽で生きていこうなんか考えてないし、ただ好きなときに好きな曲が弾けたらそれでいいのっ」

 そこでようやく彼は何かを誤ったことに気づいたようだった。たとえば、料理のレシピの手順とか、目的地までのルートとか。そんなふうな顔をした。バツのわるそうな。

 4-3

連載WEB小説 スメルズ・ライク・ティーン・スピリット

 

 





 帰宅ラッシュのピークを過ぎた駅前は、閑散としていた。ロータリーには車の一台もなく、ときどき裏の道路を通り過ぎるエンジン音が聞こえるほかは、しずかなものだった。
 高架下、円周がベンチになっているおおきなコンクリート柱のひとつのそばへ、自転車を停める。ベンチの下にケースを置くと、自分はベンチへ腰掛け、ギターを抱えた。風が吹きいい夜だが、遠くの円柱に高校生らしいカップルの姿があるほかは、人の姿はみえなかった。それでよかった。
 かんたんにチューニングしなおし、まずは指ならしもかねて、ビートルズを弾く。ヘイ・ジュード、ヒア・カムズ・ザ・サン。たのしくなってきた。どんどん弾く。ボブ・ディランエリック・クラプトン

「杉村さん」

 声をかけられたのは、6曲めを弾き終わったころだった。ジャン・レノの、あの名作映画にも使われたスティングの曲。そこで、声をかけられた。まだ制服姿のままのそのひとは、わたしと視線を合わせるつもりなのか、目の前にしゃがみこんだ。

「さっきぶり。大丈夫だった? あのあと」

 わたしはあいまいに笑った。「はい、うん。大丈夫」
 北川くんは安心したように表情をゆるめた。

「仲直りできた?」
「うん、まあ」嘘をついてしまった。それはよかった、と北川くんはニッコリとする。なんてチャーミングなほほえみだろう。
「今の曲、『レオン』だよね。カッコいーよね、ジャン・レノ」そう言って、北川くんはその場――地べたに?――腰をおろしてしまった。あぐらをかく。

 うん。と答えると、もう言葉がなかった。あの映画はヨルが借りてきたものだ。家族を麻薬取締局の悪いやつに皆殺しにされた12歳の少女は復讐を誓う、殺し屋のレオンの元で。銃を手に取りながらも無邪気なマチルダが愛らしくふたりの愛を応援したいが、待ちうけているのは悲しい結末。独りきりになってしまい学校に戻ったマチルダが、レオンの親友である観葉植物を校庭の隅に埋め「ここなら安心よ」と語るシーンに流れるこの曲のイントロがもう……ということは、いまおおきな声で熱弁すべきではない、と思い黙っていた。
 北川くんもとくに何かを話すでもなく、その場をあとにするでもなく、地べたに腰を降ろしたまま、有名なそのメロディーの口笛を吹いたりなどしている。次の曲へ行くにも行けないで、わたしはそれを黙って聴いていた。手持ち無沙汰。

「さっき来たとこ?」やっと北川くんが口を開いた。
「ううん」すこしホッとして、答えた。「もう30分くらいいるよ」
「そーなんだ」
「うん」あ、もう終わる、会話。何か続けなくては……「そう」

 終了。困った。

「杉村さんって」またしばらくののち、北川くんが会話を再開する。「どんな音楽聴くの?」

 どんなのでも、と言いかけて、思い直す。

「最近は邦楽ばっかり。ロックが多いかな」

 もとは姉の所有物だったCDラジカセは、いまではもうラジオが入らない。出先で耳にする他、新しい曲に触れる機会もずいぶん減った。今聴いているアーティストのほとんどは、ヨルが持ちこんだCDによるものだ。そのなかからよりごのむ。ヨルの趣味は雑多だ。それこそほんとうに、なんでも聴く。

「へー。何が好きなの?」
「うーん。今日はゆらゆら帝国とか聴いてたよ」
「マジ? よく知ってんね。オレ『ミーのカー』がすげー好き」
「わたし『3×3×3』が好き」
「わかる! 超名盤だよね! すげーな。そこ選ぶのかー。なんか弾ける?」

 わたしはちょっと考えて、『発光体』のあたまのほうを何小節かだけ弾いてみた。イントロの終わり、歌が始まる手前の、ジャッジャッジャッジャッというところが、かっこいい。こういう曲を、エレキギターで弾けたらとても気持ちがいいだろうなあと想像する。だが、想像だけでおなかいっぱいだった。

「すげー。さすがだね! どこが好きなの?」
「えっと……歌詞が、変なところ?」
「はは、たしかに。『3×3×3』なんかなんの歌なんだろーね」
「わかんない。デーモンが何者なのかもわかんない」

 北川くんはニッと爽やかに笑って、こちらへ手を伸ばした。

「貸して。オレ弾けるよ」
「え」

 急な展開に(だってヨル以外の男の子とこんなふうにコミュニケーションとったことなんかない)戸惑っていると、北川くんは眉毛を下げて苦く笑った。

「いいギターだもんね。人に触らせたくない?」
「や、そういうわけでは……」ん? いいギター?
「じゃ、一回弾かせてよ。ね、お願い!」

 4-2

連載WEB小説 スメルズ・ライク・ティーン・スピリット

 ――ごめんなさいね。口の利き方知らないクソガキで。

 鉄槌をくだしたのは、ひょろょろと線の細い、髭もじゃのおじさんだった。エプロンの胸のところに、「店長 堀尾」というバッジをつけて、わたしとヨルとを交互に見やり、ニコニコとしている。もしかしたら、男の子のお父さんかもしれない。彼は痛そうに顔をゆがめ、ゲンコツの見舞われた箇所をさすりさすりしていたけれど、何も言い返しはしなかった。その攻撃や一見厳しげな言葉の端には、いかにも親しみや愛情がこめられているふうに見えたからもしれない。いいなあと思った。

 ――君、凄いね、このギターは。とてもいいものだよ。
 ――父にもらって。父は、友だちに譲ってもらったって言ってました。

 いやあ、ギターって一概に言っても良し悪しがわからなかったから、詳しい奴に訊こうと思ってね。

 あとから訊ねたところによると、父は学生時代の友人から譲り受けたものだと言った。若いころからギターが好きで何本もコレクションしている人で、相談に行くと「お前の娘なら」と、これを渡してくれたそうだ。楽器なのだから、飾って愛でるよりも弾かれて本望だと(プレイのほうはからっきしなのだとか)。

 ――そうか、うん、比較的ボディが小ぶりだからね、女の子でも弾きやすいんじゃないかな。

 大事にしなさいね。弦はあんまり細いとね、切れやすいから、ライトかミディアムくらいにしておいたほうがいいよ。切れるとね、怪我しやすいからね。
 そう言ってパッパッと話を進め、ついでに入門するにあたって必要なあれこれを選んでくれ、すすめてもらうままにわたしはそれらも購入することにした。

 ――これからどこか教室にでも通うのかな?

 お会計は引き取りのときでいいよと言ったのち、堀尾さんは訊ねた。

 ――いえ、とくに。

 そういえば、ギターをもらってすでにいっぱしのギター弾きのつもりでいたけれど、一人で練習しても上達しないものなのだろうか? 急にわたしは不安になった。

 ――だったらうちに練習に来ない? 最近うちの息子たちも楽器を始めてね。君は、中学生かな? みんな同じくらいの子たちだし、初心者だからすぐに打ち解けられると思うよ。

 堀尾さんは憮然とする男の子の頭の上にポンと手のひらを置いた。初心者の方でしたか。

 ――結構です。

 と、答えたのは、わたしではなくヨルだった。


 ――教えてくれる人近所にいるので。

 そんな人いますっけ? とわたしはおそるおそるヨルを見上げた。やっぱりまだこわい顔をしている。
 堀尾さんは、あらそうか残念だと笑って、「上にスタジオもあるから、いつでも弾きにおいでね」と言ってくれた。

【4.楽器屋さんの男の子の話と、北川くんのお誘い 】

連載WEB小説 スメルズ・ライク・ティーン・スピリット

4-1

 中学生になったお祝いに、ギターはもらった。そのときはすでに離婚して離れて暮らすようになっていた、父に。
 嬉しくて、すぐにヨルを招集し、楽器屋さんを探した。頭をつきつけて、いかにもぶあついタウンページをめくって。タウンページで実際に何かを調べるというのは、はじめてのことだった。でかい道路が通っていても一本逸れれば住宅街しかないような田舎の町なので、期待はしていなかったけれど、わりと近くにあるものだ。ホリオ楽器というお店だった。
 電車で二駅ほどの距離――今わたしたちの通う高校の最寄り駅だ――を、お金のない中学生たちは片道20分、自転車を漕ぎつつ意気揚々目指した。ハードケースは硬くて重く、背負い慣れていないせいで、右に左に、気をぬくとすぐにフラフラ、体を持っていかれそうになった。その都度ヨルが「代わりに持つ」と名乗りを上げてくれたけれど、わたしのギターだ。かたくなに譲らなかった。

 ホリオ楽器は、壁全体が黄色く塗られた個人の楽器屋さんで、店内には何台かのエレクトーンや壁につるされたバイオリン、そしてギターがところせましと並べ立てられていた。入口の正面にレジのカウンターがあり、見たところ同い年くらいの男の子がひとりいるだけだった。

 ――弦交換をしてほしいんですけど。

 開いたときにカウンター側に中身がみえるようにして台の上へケースを置き、留め金をパチンパチンとはずしながら、わたしは言った。とても高揚していた。
 小柄な、女の子みたいにきれいな顔をした子だった。しかし彼の態度は店番にあるまじきもので、何をそんなに気に入らないのか底抜けの不機嫌さでもって、第一声に「爪」と、それだけ言ったのだった。

 ――え?
 ――左の爪ありえない。ギター弾くヤツの長さじゃない。

 わたしは思わず手を顔の前へ持ってきて、まじまじと爪の先を眺めた。

 ――でもこれ、ギリギリまで切ってて、これ以上短くできないんです。

 爪の裏の肉が指先のてっぺんより一ミリほどはみでているため、ギリギリまで短くしても、手のひらがわからみるとたしかに長くみえる。が、これ以上は切れないのだ。最近しらべてわかったのだけど、この肉はハイポニウムという名前らしい。これ、むりに爪切りで切ってしまうと血がでるし、何より痛い。ばい菌も入るし、いいことなどひとつもないのだ。
 証拠を見せるみたいに、彼の目の前に持ってゆく。男の子はツンとそっぽを向いて見ようともしなかった。

 ――大体、弦自分で替えられねーってなんだよ。お前これまでずっと人に替えてもらってたわけ?
 ――や、わたし、今日はじめてギターもらって……古いものだからまず弦を張り替えなきゃいけないって言われたんですけど、ごめんなさい。
 ――初心者なんだよ。悪いか。張り替えてくれっつってんだから、さっさとやれよ。

 男の子の、その不遜きわまりない態度にわたしはこれが楽器入門の洗礼かと、ひたすら恐縮にしていたのだけれど、ヨルはあからさまに苛立った。こちらもひじょうに尖った物言いで応戦する。男の子はカウンターの向こうにあるパイプ椅子に腰かけたままジロリと目だけでヨルを見上げ、鼻から息を吐いた。ようやく立ちあがる。

 ――……何ゲージのヤツにする?
 ――え?
 ――初心者だし、お前女だし力ないだろ。初めはエクストラライトの超細せーヤツから始めたら? 女だし。

 そ、そういうものですか。じゃあそれでお願いしますと頭を下げ、やっとわたしはケースのフタを開いた。男の子は品定めするようにギターに目線をやり、

 ――はっ!?

 目を見開いた。
 それからバッと顔をボディのギリギリのところまで寄せて、サウンドホールの中を凝視し、かと思うとギターを持ち上げ――それはとても慎重で丁寧な扱いかたにみえた――あらゆるパーツをチェックしだした。
 どうしたんだろう? 困ってヨルを見上げると(このときわたしたちの身長は、すでにちゃくちゃくと差をつけられつつあった)、ヨルも怒った顔のまま、こちらを見おろしていた。

 ――ヤマハのLSってお前! これすっげー高いんだぞ!
 ――あ、そうなんですか。
 ――知らねーで持ってんの!? 信じられねー。宝の持ち腐れだな。

 またも不躾な物言いに、ヨルの気配がどんどん険しくなる。わたしはまったくどうも感じやしないのだけれど、正直これ以上ヨルの怒りを募らせるのがこわく、ヒヤヒヤしていた。
 そのとき、男の子の頭上にゲンコツが降った。いてっ。高い声を出して、彼の姿はしばしわたしたちの視界から消えてしまう。しゃがみこんで、カウンター裏に隠れてしまったのだった。

 

 3-4

連載WEB小説 スメルズ・ライク・ティーン・スピリット








 ニルヴァーナ、オアシス、クラッシュ、グリーン・デイ
 ラジオで情報を仕入れ、洋楽ロックのCDを集めるのがアキちゃんの趣味だった。
 暁、と書いてアキラと読む。母がアキちゃんを身ごもったとき、生まれてくるまで男の子だと聞かされていたらしく、名前の候補はすべて男の子のものばかりだったという。生まれてきた子の性別が女の子だと判明したとき、両親は大変驚いただろう。候補の中でもいちばん中性的なものをえらんだら、アキラだったらしい。
 いろんなところで、ことあるごとに「男みたいな名前」とバカにされてきただろうに、アキちゃんは気にもとめなかった。むしろ、長い髪をバッサリ切って年中ジーパンを履いたりなど、あえて男らしい装いをしていたぐらいだった。
 さっぱりとして、かっこいいひとだった。明るく快活で、そして、男の子みたいな恰好でいても、アキちゃんはずっと女の子らしかった。
 運動もできて勉強もできて、絵に描いたような優等生だった。妹のわたしも両親も親戚一同も、アキちゃんのことが誇らしく、大好きだった。
 同年代の子たちがテレビのアイドルなんかに熱をあげている中、英語の歌、それもちょっとワルい感じで男くさい音楽を聴いている自分――ぜんぶひとに教えてもらったのだけれど――が大人っぽくて好きだった。中学生になったら、わたしもアキちゃんみたいになるのだと思っていた。
 音楽に詳しいアキちゃんは、つねに「ギターが弾けるようになりたい」と言っていたけれど、部活のテニスや塾で忙しく、部活がない日はだいたい友だちや恋人と会っていたので、結局始めずじまいだった。

 アキちゃんがいなくなって、アキちゃんのおしえてくれた音楽は聴かなくなった。そのかわり、わたしはギターをはじめた。







 少し身軽になって家に着く。何も解決はしていないのだけれど、人に話すと心が楽になるんだということを知ることができた。
 谷さんにはすべて話してもいいような気がする。今は無理だけれど、そのうち喋れる日が来ればいい。
 そのときはめぐちゃんにも、すべて話せるだろう。

 寝室を覗くも、母のすがたはなかった。今日は休むのかと思っていたけれど、出勤したらしい。リビングへ向かう。炊飯器にごはんがあったので、冷蔵庫から卵とバターとにんにくチューブを取りだし、ガーリックバターライスをつくり、目玉焼きをのせたものを昼食にした。ジュースが飲みたかったけれどなかったので、牛乳をグラスになみなみと注ぎ、立て続けに二杯飲んだ。そしたらもうすることがなくなって、自分の部屋に戻る。
 CDラックから一枚えらび、コンポにセットする。男の人三人組の、サイケロックというか、なんだか変な音楽。うるさいファズギターもくせになる。頭がゆらゆらしそうで、くせになる。
 以前は洋楽を聴いていることがかっこいいことだと思っていた。邦楽なんか海外の真似ばかりでちっともイケてない、と。でも、そうではなかった。国内にもいい音楽はちゃんとある。それほど多くはないかもしれないけれど。
 マンガを数冊抱えて、ベッドに寝そべる。しばらくはパラパラページをめくっていたが、じきに閉じてしまった。音楽に集中する。
 あおむけになって、目をつむる。音のひとつぶひとつぶを、ひろいあつめてゆく。心地がよかった。体がふわふわと重力を失って、まるで水面をたゆたっているような不思議な気分になる。音が遠くなる。いつの間にか眠っていた。



 目がさめたら、もう陽は沈んだあとだった。真っ暗な部屋。空気がひんやりとする。半袖の制服から出た腕に触れるとびっくりするくらい、つめたくなっていた。
 たくさん眠ったせいで、頭がぼうっとした。家中がシンとしていて、心細くなる。今何時だろう。
 電気をつけて壁の時計を見あげると、もう20時だった。六時間近くも眠ってしまった計算になる。お風呂に入ろうと思う。

 一時間かけてゆっくり湯船につかった。浴室から出てくると、おなかはすかないかわりに、喉がひどく渇いていた。ジュースが飲みたかったけれど、冷蔵庫にはなかった。冷蔵庫のドアを開いてから、昼間もおなじことを考えていたことを、そのときに思いだす。母がリキュールを割るのにストックしていたトニックウォーターをみつけたので、一本もらう。甘くて、炭酸が効いていて、ほんのりレモンの味がする。ジュースとまあ、似たようなものだ。
 部屋に戻り、ディスクを変える。女の子ふたりと男の人ひとりの3ピース邦楽ロックバンド。ボーカルの女の子の声がかっこいいのだ。演歌歌手さんのような、こぶしのきいた声。そんな彼女らの最新アルバムだった。歌詞カードを取りだし、缶のままトニックウォーターをすすり、読む。アルコールは入っていないはずだが体がポカポカとして、いい気分になってきた。むしょうにギターが弾きたくなった。ずっと弾いてなかった禁断症状みたいに。
 一度は着た部屋着を脱ぎ、頭からパーカーをかぶって細身のパンツを履く。濡れたままの髪をゴムで上のほうにまとめる。仕上げに、めぐちゃんからもらった化粧水を少しだけつけてギターケースをかつぎ、部屋をでた。

 3-3

連載WEB小説 スメルズ・ライク・ティーン・スピリット

「シンヤー」

 落ち着き始めていた胸が、ふたたび早鐘を打った。
 その場に凍りついていると厨房の先輩が顔が覗かせた。長谷川さんだ。背が高くて、バイトの先輩のなかではいちばん男前かもしれない。谷さん同様、ヤンキーだけれど。

「あれ? 杉村さんだ。一人? あいつまだ休憩じゃねーのかな」
「え、あの」
「シン、ああ、谷。谷見なかった?」

 中に。声がうわずった。そっか、ありがとうと長谷川さんは言って、そこでようやくわたしの顔に気づいたようだった。

「えっ、泣いてる? どうしたの?」

 や、ちょっと。蚊のなく声で言ったところで、谷さんが戻ってきた。

「お、どうした? お前今日バイト休みじゃなかったっけ」
「先輩に呼ばれて××行くことになって。バイク借りてっていい? 夜返すわ」
「はあ? おれの足はどうなるんだよ」
「チャリ置いてくから」
「ガソリン入れて返せよ」
「サンキュー」

 傷なんか付けたらしばくからな。舌打ちをして、でもずぼんのベルトループにつけていた鍵束からバイクのキーをはずし、さしだす。長谷川さんはそれを受けとると、交換に自転車とカギを渡した。

「じゃ、あとで。杉村さん、谷になんかされたんだったら言ってよ? こいつオオカミだからふたりっきりなんの危ねーよ」
「朝ちゃんに余計なこと言うなよ! さっさと行けよ」いらだった風に、でも笑いながら、谷さんは長谷川さんの肩に軽くパンチをした。仲がいいんだなあ。

「朝ちゃんごめんな、騒々しくて」

 谷さんが、オレンジジュースを差しだしてくれた。受けとりながら、わたしは笑って首をふった。ちいさくお礼の言葉をのべる。その口もとが、こわばったように少し引きつってしまった。それを谷さんは見つけてしまう。

「どうした? 変なこと言われた?」

 いえ、と言ってわたしは首をふった。「ちょっと、びっくりしちゃっただけで」
「びっくり?」あいつのドアの開け方乱暴だもんな。
「や、」わたしはいったん口をつぐみ、それから「谷さんの名前、知らなくて」
「あれ、そうだった? おれシンヤっていうの。谷慎也。平凡な名前だろー」

 いい名前だと思います。心からわたしは言った。

「さっき話した人もおんなじ名前だったから、ちょっと、びっくりして」
「え? 元彼?」

 元彼。その響きに、つい笑ってしまう。そのとおりなのだけど。

「けど、夜って呼んでなかった?」
「真夜中の、真夜って書いてシンヤって読むんです。だからわたしとかアキちゃん……お姉ちゃんとか両方の家族はむかしからその人のこと、ヨルって呼んでたので、今もそのまま」
「へえー!すげー偶然だね。朝ちゃんにとって、特別な名前なんだ。シンヤくんかー。けど、何かいいね。朝と夜。兄妹みたい」
「わたしたちのとこ、父親ふたりが親友どうしで。深夜ってしたかったみたいなんですけど、真夜の方が字がきれいだからって、市役所に提出するギリギリで変更したらしいです」

 わたしの名前は、男の子でも女の子でも「朝日」にすることはもう姉が生まれたときから決まっていたから、それにちなんでヨルは「真夜」となったらしい。

「へえ、じゃあゆくゆくは二人、結婚させたかったんじゃないの?」
「それは」ありえない。わたしは笑った。「ないんじゃないですかね」
「なんで?」
「結婚するメリットとか、ないですし」

 父たちがそれぞれの会社を統合することに決めたのは、わたしたちが生まれるまえのことだったときく。そこにどんないきさつがあったかはわたしのあずかり知るところではないけれど、ただ、思った。ほんとうに仲がいいのだ、と。現在父たちは共同経営者として、ふたりで会社を運営している。

 

「すごいね。めちゃくちゃ仲良しじゃん」
「そうなんです。びっくりしますよ」
「うらましいけどねー。でも共同経営なら余計結婚してくれたら楽じゃない?」
「うーん。どうなんでしょうか」

 でもこれでもう、わたしたちの縁は切れてしまったも同然だし、まあこのご時世、親の決めた相手の結婚なんて、いくらふたりが仲良しだからってありえないのじゃないだろうか。わたしは、いやだ。ヨルだって、いやがるだろう。

「ちょっと落ち着いたみたいだね」
「谷さんのおかげですよ」ほんとうに、そう思っている。どうもありがとうございました。わたしはふかぶか頭をさげる。
「話ならさ、いつでも聞いたげるからさ。遠慮しないで」谷さんは笑って、また頭を撫でてくれた。「そうだ、連絡先教えてよ」
「え、いいんですか?」
「おれが頼んでるんだから」

 わたしは制服のスカートからケータイを取りだした。嬉しすぎて、指の先がビリビリするようだった。

「人に喋ったらちょっとは楽になっただろ? 全部抱えこんだままでいると、押しつぶされちゃうよ。だからおれは朝ちゃんのこと、甘やかしたげる。お兄さんに甘えなさい。一歳しか変わんないけど」

 おなかの下あたりから、よくわからないあついかたまりが、喉のところにまでブワッと押しあがってきた。嬉しいのになんだか息苦しくて、泣きそうになってしまった。
 また目に涙をためるわたしを見て、谷さんは苦笑する。

「今日はさ、もう家に帰りなよ」
「え、や、それは」
「朝ちゃんここに来てから全然休んでないじゃん。送って帰りたいけど、またすぐしたらおれ戻らなきゃだし。店長に言っといたげる」
「でも、今日から制服着れて」
「あんま無理したら、へたばっちゃうぞ。制服なんかこの先いくらでも着れるんだから。お兄さんの言うことはちゃんと聞きなさい」
「……はい」

 いい子。そう言って、顔をくしゃくしゃにし、谷さんは笑った。

 3-2

連載WEB小説 スメルズ・ライク・ティーン・スピリット








 今日から、いよいよ制服を着て働くことができる。嬉しい。
 そうだ、しばらく学校に行くのはやめよう。店長にはてきとうに説明をして、夏休みとおなじように、朝から晩まで働かせてもらおう。ほとぼりが冷めたら、また登校すればいい。前向きな休学なのだから、わるくはないだろう。そうしよう。学校から連絡がない限り、母はきっと、わたしが登校拒否をしていることにも気がつかないだろうし、気にもしないだろう。明日めぐちゃんに、休学届けをもらってもらえさえすれば、きっと全部うまくいく。
 そんなことを考えながら、ひたすら前だけ向いて自転車を漕いでいた。一度俯いてしまえば、その場に崩れ落ちてしまいそうな気がした。開きっぱなしの両目から次つぎにこぼれて風にのり、うしろへ流れてゆく涙の粒はそのままに、かすむ視界のなか、わたしはひたすら自転車を漕いでいた。
 それで、気がついたら自宅ではなくバイト先へたどり着いていた。まだお昼だ。いくらなんでも早すぎた。
 けれど、もういちど自転車に乗って家に帰る体力も気力もなく、ふらふらと更衣室のなかへ入ってゆく。無人のその床に、カバンをほうり投げ、わたしもおなじように床へと身を投げる。うしろから刺し殺された死体みたいなかっこうで突っ伏し、しばらくそのままでいる。ロッカーの上の窓から夏の終わりの陽が、最後の力をふりしぼるみたいに本気の光を浴びせにかかる。更衣室はまるでサウナのような暑さだった。それに全速力で自転車を漕いだものだから、熱気からだにぴったりとまとわりついていた。毛布を頭からかぶったように。息苦しかった。

 暑さのあまり、床がとけてぐにゃんてなって、底なし沼みたいにわたしをまる呑みにしてくれたらいいのに。そう思いながら目を閉じた、とき、唐突に閉まったばかりの鉄扉が不吉な音を立てながら開かれた。急なことで、もちろんわたしはそのままの姿勢のまま反応できなかった。

「おわっ、ああ、朝ちゃんか」谷さんだった。

「そっか、今日から二学期か。制服初めて見たー。可愛いじゃん」で、何してんの? と言って、靴を履いたまま床にのびている死体的なわたしのかおをのぞき込む。そして第一発見者は驚き、あわてる。「な、なんで泣いてんの? どうした?」

 わたしの腕を掴み、持ちあげ、座らせる。

「谷さん……」谷さんのかおを見たら、ますます泣けてくるのだった。「どうして女子更衣室にいるんですか」

「なんかクセ? 男子更衣室は社員ばっかで重苦しーんだよ、空気が。パートさんとかと喋ってる方が面白いし」
「そうなんですか……」
「や、そうじゃなくて」違う違うというように、胸の前で手のひらをひらひらさせ、谷さんは言った。「どうしたの、そんなに泣いて。何かあった?」
「谷さあん」うわーんと言って、わたしはぼろぼろ涙をこぼした。
「何、あ、彼氏にでもフられたか?」冗談めかしてしっかりと図星を指す。

 さめざめと、わたしは頷いた。
 ギョッとしたのは谷さんだろう。

「え!? え、ごめ、……え? てか、いないって言ってたよね、彼氏。だから冗談のつもりだったんだけど……」
「うう、違うんです、今日あらためて、うう、うわあーん」
「お、おお、よしよし! 話きいたげるからとにかく一回落ち着こう、な。ほら、深呼吸してみ?」

 ほら、息吸って、次吐いて。
 谷さんの手のひらが、わたしの頭に置かれる。それだけでとめどなく泣けそうだったけれど、谷さんの言うとおり、深呼吸をし、一旦泣くのをやめる。それから、ぽつぽつと、ことの顛末を打ち明けた。
 でも核心部分はやっぱり言葉にできなくて、途中途中を欠落させたまま喋るので、話の筋はめちゃめちゃだし、日本語としてもおかしいし、ときおり嗚咽も混じるので聞きとりにくく、きちんと意味がとおったのか、ちゃんと話は伝わったのか、とても不安になった。それでも谷さんは静かに頷き、ときどき控えめに相槌を入れ、最後までちゃんと話を聞いてくれた。

「そっか。朝ちゃんにも朝ちゃんの恋物語があったんだな」

 はい。すこし落ち着いて(それでもまだときどきしゃくりあげなければならなかった)、床の汚れた板目の模様を漫然と眺めながら、わたしは頷いた。

「今日で完全に嫌われちゃいました」
「うーんそうだなあ、ちゃんと理由話さないのに納得はできないよね」
「……ヨルはわたしの味方だと思ってたのに」

 言ってしまって、また視界が揺れて曇った。そうか、わたしはそれで絶望したんだった。ヨルはわたしの味方だと思っていたんだ。そう、ヨルだけは。

「ま、細かいところはどうであれ、うん」やさしくほほえみ、わたしの頭に手を置く。「よく頑張ったね」
「うう、ありがと……ござ、」
「こら、もう泣くな。ちょっと待ってて、お兄さんがジュースでも入れてきてあげよう」

 そう言ってわたしの髪の毛をわしわしとして、谷さんは立ちあがって更衣室をあとにした。
 ポツンと一人のこされたわたしは、無人の更衣室の静かな空間に身を置くことで少しずつ冷静さを取り戻し、自分のさらした醜態をふりかえって、顔から火がでそうになった。わたしは、なんてことを。しかしそうやって恥ずかしがりながらも口もとはゆるみ、心がぬくぬくするのを感じた。やっとまともに呼吸ができるようになった。なんていいひとなんだろう。わたしは思った。
 そこで、まただしぬけにギイッとドアが開いた。